05


寿司屋からまた佐々木の運転する車に乗り込み、助手席に日向、後部座席に俺と猛が座る。
行き先は猛の言っていた組事務所だ。

静かに走り出した車の後部座席で俺は流れていく窓の外の景色をぼんやりと眺める。徐々に増す陽射しの強さと流れ行く雲がもうじき暑い夏を連れてくる。忙しなく歩く街の人々を眺め、遠くを見つめて瞳を細めた。

「……ん?」

その内に髪に違和感を感じて窓の外に向けていた視線を車内に戻せば猛の指先が悪戯に俺の髪に触れていた。振り向いた俺と視線がぶつかると猛は低く喉を鳴らし、髪に触れていた手で俺の肩を引き寄せた。

「言えよ」

肩を抱き寄せられ、耳朶に掛かった吐息に身が竦む。顎を掴まれ上向かされたことで至近距離で視線が絡んだ。

「朝からか。様子がおかしいな」

「何を…」

探るようにジッと見つめられて、その居心地の悪さに身じろぐ。

「自覚がないのも考えものだな。…拓磨」

「……っ」

今度は掠めるだけの口付けで終わらず、しっかりと唇を重ねられ目を見開く。
咄嗟に引き結んだ唇を舌先でなぞられ、ぞわぞわと背に走った震えに薄く口を開いてしまった。
その隙を狙って猛の舌が侵入してくる。

「ん…ン!」

上顎をなぞられ、奥へと逃げた舌を絡めとられる。

「…ンッ…ゃめ…っ」

深くなる口付けから逃げようとするも、後頭部を押さえられ逃げられずに猛から与えられる口付けを甘受することになった。

「ぁ…っ…」

背筋を這い上がってくる未知の感覚に身体が震える。怖い、けれどもそれだけではない熱い感覚。
やがて後頭部を押さえていた猛の手が髪を梳くように動きを変え、徐々に俺の肩からは力が抜けていった。

「…っ…はっ…んで、…こんなこと…」

唇が離された頃にはくたりと体から力が抜けていて、俺は猛の肩に頭を預ける。呼吸を整える俺の耳元で猛は涼しい顔をして言った。

「お前がして欲しそうにしてたからな」

「俺が、いつ、そんなこと」

身に覚えのないことに俺は肩口から顔を上げて猛を睨み付ける。
視界の端で流れた景色にここが車内だということを思い出して、カッと燃えるように頬が熱くなった。

「その顔、俺以外の男に見せるなよ」

ちらりと前方へ視線を流した猛はそう返事を誤魔化すと俺の頭を抱き、耳の中へ流し込むようにひっそりと言葉を続ける。

「無駄な我慢もやめろ。見ていて不愉快だ」

「そんなことしてない」

「どうだか」

してないと言い切った割に俺は猛に身を凭れさせたまま暫く動くことが出来ずにいた。
それは決して不快ではない布越しに触れる猛の体温のせい。何故か、猛に触れられても俺の身体は拒絶反応を見せたりはしなかった。







それから数十分余り、何の変哲もないオフィス街へと車は入っていき、夜に一度だけ目にしたことのあるビルの前で車は停車した。

まず助手席から日向が降り、タイミングを図ったかのようにビルの中から一人の青年が出てくる。年の頃は二十代前半か、軽く日向と言葉を交わすと後部座席のドアを開け、俺と視線が合うと青年はにこりと笑った。

組事務所の人間としては不似合いな優男に、俺は一度この顔を見ていることを思い出す。あれはそう、やはり事務所に連れて来られた時だ。

日向がするのと同じように差し出された手を俺は無視して車から降りる。
女でもあるまいし。
後から続いて降りた猛に道を開けた優男は軽く腰を折った。

「お疲れ様です、会長」

その声に猛は顎を引いて返し、事務所へと足を進める。座敷や車の中で見たどこか空気が緩んだような感じは綺麗さっぱり払拭されており、猛はいつだかの鋭く深い闇を思わせる雰囲気を身に纏っていた。

そして、先に降りた俺が足を止め付いて来ていないことに気付いたのか猛が肩越しに振り返る。

「どうした?ここまで来て怖じ気付いたのか」

投げられた言葉、その言い方が気に食わなくて止めていた足を踏み出しながら俺は言い返した。

「まさか。…アンタ以上に恐いものなんてねぇよ」

本音を交え、乱暴に告げれば何故か優男が目を見張る。その肩を日向がぽんぽんと叩き、軽口で返された張本人はといえば愉快そうに口端を吊り上げていた。

「恐いもの知らずだな」

「これまでの奴等と拓磨くんを一緒にしない方がお前の為だぞ周防」

猛の後についてビルの中へと入った俺は背後で交わされた会話に眉を寄せながらもあぁ、やっぱりと冷静に思う。

分かってはいたことだが、きっと猛には俺以外の人間がいる。いなくてはおかしいと、その時の俺は当然のことのように思い込んでいた。

硝子製の扉を押し開ければ一階はエントランスになっていて、奥にエレベータと階段。二階と三階が事務所になっており、三階の奥に俺が連れていかれた会長室がある。

今日もエレベータは二階を通り過ぎ三階で停まる。ざわざわと騒がしい事務所内は猛が姿を見せるとピタリと静まり返り、皆頭を下げ口々に挨拶の言葉を口にした。
それを猛は当たり前のように受け取り、俺の左腕を掴むと隣に立たせる。

事務所内の視線が俺に突き刺さるのが分かった。
けれど、先に告げた通り俺が畏怖するものはこんなものじゃない。俺は毅然と顔を上げ、逆に事務所内にいる人間を見渡した。

その間に猛の低い声が空気を震わせる。

「正式にコイツは俺のイロになった。…言わずとも意味は分かるな」

「…っす」

「はっ」

猛の放った言葉に事務所内にいた人間は緊張した面持ちで頷く。
返ってきた反応を確認すると猛は日向の側に控えるように立った優男に視線を投げた。

「上総と唐澤は」

「会議室で待機してます」

「行くぞ。周防、お前も来い」

「はい」

用はもう済んだのか俺は掴まれたままの左腕を引かれる。事務所から綺麗に磨かれた廊下に一旦出ると、廊下を奥へと進み会長室より手前に配置されていた会議室と名札の貼り付けられた扉を日向が開いた。

会議室の中央には丸い大きなテーブルがあり、背凭れのある椅子が七脚テーブルを囲うように並ぶ。室内の脇には別に小型のテーブルが設置されており、その上には電話機とメモ帳、ペンが転がっている。
更に室内の奥へと目を向ければ扉があり、給湯室と扉にプレートがつけられていた。

「お疲れ様です」

七脚ある椅子には既に上総と唐澤が座っており、扉が開いたのに気付くと二人は椅子から立ち上がる。
唐澤の前にはノートパソコンが開かれていて、上総の手元には複数の紙が見える。

共にここで長時間仕事をしていたのかテーブルの上には氷の溶けたグラスが置かれていた。

「あっ、今飲み物入れてきますね」

最後に入室した周防と呼ばれた優男が会議室の扉を閉め、給湯室に向かう。
俺は腕を離されぬまま猛に促されて椅子に腰を下ろし、俺の右隣に猛が座った。

俺達が座った後に、猛とは逆隣の椅子に日向、時計回りに上総と唐澤が腰を下ろす。最後にトレイで飲み物を運んできた周防が唐澤に席を勧められ、恐縮しながらその輪に加わった。

どこか引き締まった空気に自然と猛に視線が集まる。それを待ってから猛が静かに口を開いた。

「日向から伝わってると思うが、正式にコイツを迎え入れることにした」

コイツと言われた瞬間全ての視線が俺に向き、視線のぶつかった唐澤が僭越ながらと口を挟む。

「それは拓磨さんも承知の上でということですか?」

猛は答えず、自分で答えるよう視線で投げ掛けられて俺はしかたなく口を開いた。

「まだ全てを信用したわけじゃない。けど、そうなるな」

正直に答えれば唐澤からの視線が鋭さを増す。
最初に会った時から唐澤は俺に対して良い印象を抱いてないというのは分かっていた。突き刺さる疑惑と疑念混じりの眼差しに、その分かりやすい反応に俺は微かに口角を吊り上げた。

上総のように沈黙を保たれるよりは良い。

「俺は特に意義無し」

そして張り詰めた空気を壊すように軽い調子で言ったのは日向だ。

「良いと思うよ、面白くて」

「面白くてって、何考えてるんだお前は」

日向の台詞に沈黙を保っていた上総が穏やかだった表情を怖いぐらい真剣なものに変え噛み付く。

「悪いが上総、これが俺の考えた結果だ。それに会長の見る目は確かだと俺は思ってる」

「それは…そうだが」

「上総、唐澤、お前等は違うのか」

飄々とした雰囲気を捨て去り、日向が二人を見据える。
俺は認められようが認められまいがどちらでも構わなかった。だが、猛自身はどう思っているのかと気になって隣をちらりと見る。

そこにはまったく揺るがない様子の猛が、煩く口を挟むでも無くただ成り行きを静観していた。





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